「おかえりーっ」
「おう流華、お土産あるぞ」学校から急いで家へ帰った私の目は、点になっていた。
玄関へ入った途端に、楽し気な声が聞こえてきた。私はすぐにそちらへと駆けていく。
すると、とんでもない光景が目に飛び込んできたのだ。居間で、ヘンリーと祖父が仲良くお酒を酌み交わしている。
あ、ちなみにヘンリーはジュースだ。机を挟み、向かい合わせに座った二人は酒とつまみを前に、私に微笑みかけてきた。
「いったい……どういうこと?」
私はこの事態がなぜ起こっているのかわからなくて、目をしばたたかせた。
「私が説明いたします」
いつの間にか背後にいた龍が、私にそっと耳打ちしてきた。
詳細はこうだ。祖父はたまたま予定より早く旅行を切り上げ、家へ帰還した。すると、家の中をうろついていたヘンリーに出くわす。
はじめ驚いた祖父はヘンリーを捕らえた。しかし、ヘンリーがタイムスリップしてきたことを知ると、祖父の態度が一変したらしい。 興味深そうにヘンリーの話を聞き、故郷のことやこちらへ来てからの感想など、根掘り葉掘り聞いていたそうだ。昔から祖父はそういうところがあった。
いつも好奇心溢れた少年のような心をもち、人生に楽しみと面白さを求めている。
きっと祖父の好奇心に、ヘンリーはマッチしたのだろう。それから、祖父とヘンリーは仲良く話し込んでいたそうだ。
そこへ私が帰還した、というのが龍から聞かされた大まかな流れ。
なるほどね……なんとなく想像できる。私があきれながら二人を見つめていると、祖父がとんでもないことを言い出した。
「なあ、流華よ。ヘンリーもおまえと一緒に学校へ行かせてみてはどうだ?」
「は!?」 「何を言っているのですか!」私と共に、龍も驚いて目を剥いた。
祖父が突拍子もないことを言うのには慣れていたが、今回はさすがの私も驚いた。「ヘンリーも家ばっかりではつまらんだろうて。
流華と楽しい学校生活をエンジョイじゃ!」薄っすらと顔を赤らめた祖父がノリノリで拳を上に振り上げた。
「流華と一緒? なら行きたい!」
ヘンリーは前のめりになり、祖父の手を取り握り締める。
「いや、いや、ちょっと待って! そんな簡単にっ」
私は慌てて止めようとするが、祖父は豪快に笑い飛ばした。
「大丈夫、大丈夫! いろんな学校の手続き関係はわしがなんとかする」
「いや、まあ、そうだろうけど。そういうことじゃなくて、ヘンリーが学校に行ったら騒ぎになるよ」 「どうして? 僕、流華とずっと一緒にいたい。学校一緒に行く!」急に立ち上がり、今度は私の手を握り締めるヘンリー。
その美しい瞳を私に向け、至近距離から見つめてくる。「あー、気持ちよかった」 ヘンリーが大きく伸びをする。 たった今映画が終わり、皆で外へ出てきたところだった。 映画館の前は、多くの人で賑わっている。 ガヤガヤと騒がしい声と人並の中、突然、龍が私に向け頭を下げた。「お嬢、申し訳ありません! 眠ってしまったうえに、お嬢の肩をお借りしていたなんて。……どんな罰でも受けます」 深く頭を下げ続ける龍に、私はあきれたようにため息をついた。「あのねえ、そんな大げさな。 龍も疲れてたんだね、いつも頑張ってくれてる証拠だよ。ありがと」 微笑みかけると、龍は安堵した表情で私を見つめる。「お嬢……」 「もう! 流華、龍とばっかりずるい。 僕だって流華の肩に寝てたんだよ、僕も褒めて」 ヘンリーは何を勘違いしたのか、二人が肩にもたれ寝ていたことを私が喜んでいると思っているようだった。「あのね、私は別に」 「おまえもお嬢の肩をお借りしていたのか?」 龍がすかさず険しい表情でツッコミを入れてくる。 すると、ヘンリーは不機嫌そうに頬を膨らませて対抗した。「龍だってしてたんでしょ? 僕の流華なのに、駄目だよ」 「おまえ、の?」 龍のこめかみに血管が浮き出る。「こんなところで喧嘩しないでよ! 私はヘンリーのことも龍のことも嫌じゃなかった。気を許してくれているんだなって思って、嬉しかったからっ」 こんなところで暴れて、騒ぎになったら厄介だ。 私は飛び切りの笑顔を二人に向ける。 その笑顔に龍がひどく感動した様子で、頬を緩ませた。と、同時にヘンリーは龍の隙を突いて、私に飛びつこうとする。「流華、大好き」 「貴様ーっ!」 激怒した龍がヘンリーに掴みかかろうとするが、そこへアルバートが割って入り龍を止める。 よくやった、アルバート! たまには役に立つじゃない! 私は心の中で、拍手を送った。「そうはさせません! 私が相手です
映画館のロビーでは、たくさんの人が行き交っていた。 売店やチケット販売機の前には人々の列が見える。頭上に飾られた巨大スクリーンには映画の宣伝が流れていた。 ヘンリーとアルバートは物珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡している。 龍も映画館の様子に少し戸惑っているようだった。普段こんなところに来ないだろうから、慣れていないのだ。 仕方ない、ここは私が動くか。 三人を待たせ、チケットを買いに行く。 目的のチケットを手に入れた私は、三人を引き連れ上映場所へと向かった。 指定の会場へ入ると、座席を探す。 もう既に室内は薄暗く、スクリーンには映画のCMが流されていた。 休日ということもあり、座席もまあまあ埋まっている。 座席の番号を確認し、皆を席に座らせてから私も腰を落ち着ける。 ここの映画館の椅子は結構座り心地がよく、私は気に入っていた。 私の右隣には龍が座り、左にはヘンリー。そのまた左にはアルバート。 四つの席を皆に示したら、勝手にこういう並びになってしまった。 なんとなく予想はついていたけれど。 今まで私は映画を一人でしか見たことがなかった……だからか、両隣に人がいることに落ち着かない。 さっきからヘンリーは私のことをじっと見つめてくるし。と、私がそちらへ視線を向けると、ニコニコと微笑むヘンリーと目が合った。「ヘンリー、私ばかり見るんじゃなくて、映画始まったら映画を見るんだよ」 「うん、わかってる。でも、今は流華でいいでしょ?」 そう言って、ヘンリーは満面の笑みを向けながら私に集中してくる。 そんなに間近で見続けられると、緊張するよ~。 私が何気なくヘンリーの方へ顔を向けると、突然キスされた。 柔らかな唇の感触に驚き、私は身を引く。「ちょっ、何するの!」 私は映画館ということを配慮して、囁き声で怒った。 すると、嬉しそうな顔をしたヘンリーが私にそっと囁く。「ここ暗いから、こういうことす
私はハンバーグを口に運ぶ。 うん、なかなか美味しい。 ふと視線をヘンリーに移す。 さすが王子、食べる所作がとても美しい。 ナイフとフォークの扱い方が洗練されていて、動作一つ一つがマナーに乗っ取った貴族らしさを垣間見せている。 知らぬ間に見惚れていた私は、龍の咳払いによって覚醒する。 視線に気づいたヘンリーが嬉しそうな笑みを私に向けていた。 なんだか気まずい私は、視線を逸らし、食べることに集中した。 食べ終わった私たちは店を出る。 すると、ヘンリーが急にソワソワと辺りを見回しながら私に尋ねてきた。「ねえ、ねえ、なんでみんなあの小さい札に夢中なの?」 スマホのことを言っているらしい。 確かに世の中の人はあれに夢中だ。「あれはスマホ、もといスマートフォンと言って、あれがあれば情報は何でも手に入るし、買い物もできるし、遊ぶこともできる。何でもできる便利な道具だよ」 「ふーん。あ、ねえ、あれ食べたい」 切り替え早いな! もう別の物に興味が移っている。 ヘンリーが指差した先にいた人が持っていたのは、ソフトクリームだった。 どうしても食べたいというヘンリーのために、私はお店を探した。 店を見つけソフトクリームを買った私は、ヘンリーにそれを差し出す。 目を輝かせ、私からそれを受け取ったヘンリーは大きな口を開けてかぶりついた。「おいしい! 冷たくて甘くて、これ考えた人天才だね」 「そう、よかったね」 私はなんだか子守りをしている気分になってきて、あきれたように短いため息をつく。 ふと見上げると、映画の看板が目に入った。 そういえば、これ見たいと思ってたんだった。 話題になってる恋愛映画。好きな女優さんが出ているから気になってた。 最近忙しくてすっかり忘れてたな。 私がぼーっとその看板を眺めていると、ヘンリーが声をかけてくる。「どうした
その日、疲れた私は早々に眠りについた。 すると、また夢を見た。 またあの映像? 誰かと一緒に走っている。 必死に走っているせいで、二人ともかなり息が上がっていた。 手を繋ぎながら森の中を駆けていく。 後ろを振り返ると、どうやら追手が迫ってきているようだった。 私と一緒に走るのは、いつもの金髪の男性。 森を抜けるとそこは崖の上。 目の前には、闇に溶け込んだような黒い海がどこまでも広がっている。 ザァッと風が吹き抜けた。 私は隣の男性にしがみつく。男性も私をきつく抱きしめ返した。 頬を涙が伝っていく。 男性は私の涙を拭うと優しく微笑んだ。 そしてそっと私に口づける。 映像は靄がかかったように、だんだんと薄れていく。 これは何? 夢? 夢にしては、この前から同じ人物ばかり見ている気がする。 それに、なんだか懐かく感じるのはなぜ? だんだんと意識が薄れていき、私はいつの間にか深い眠りについていた。 今日は学校が休み、そう休日。 いつもなら家でゴロゴロするか、貴子と遊びに出掛けるのだが、今日は違う。 ヘンリーとアルバートがいつまでこちらの世界にいるかわからないけれど、長期戦になることも考え、こちらの世界のことを少し教えておいた方がいいだろう。 その方が私も心配しないでいいし、楽だしね。 そう考えた私は早速ヘンリーとアルバートを誘って出掛けようとした。 すると案の定、龍が「自分も行きます」と名乗りを上げてきた。 龍はヘンリーとアルバートのどちらのことも気に食わないらしく、睨みつけている。 いい加減、一緒に暮らしているのだから、仲良くしてほしいものだ。 まずどこへ行こうかなと考えていると、ヘンリーが楽しそうに発言する。「はい! 僕、お腹空いたから何か美味しいもの食べたいな。
これはちょっとやばいかも。 私は急いで止めに入る。「ねえ、その辺でストップ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」 「そうだよ、アルバートも流華のこと、悪く言ったら許さない」 私とヘンリーが二人の間に割って入ると、その場の空気が幾分やわらぎ始めた。 そこへ、ちょうど通りかかった祖父が顔を覗かせた。「おーおー、もう一人増えとるっ」 祖父は驚くことなく、嬉しそうにニコニコしながらこちらへやって来る。 何事にも動じない祖父はさすがというか何というか。 こういうところは、改めて大物だと感じる。いつもは忘れてるけど。「ご老人が、ここの主か?」 アルバートが祖父に尋ねる。「うむ、そうじゃ」 祖父が威風堂々と胸を張り頷く。 その姿には威厳があり、どこぞの王様のように見えなくもない。 アルバートは祖父の前にひざまずいた。「どうか、ヘンリー王子と共に、しばらくここに置いてはくださりませんか?」 「いいぞ」 え! そんなあっさり? あまりの承諾の速さに、私は驚きを隠せない。「有難き幸せっ」 アルバートが深々と頭を下げる。 即座に龍が祖父に抗議した。「いいのですか! こんな訳の分からない輩を、また」 「別に一人も二人も同じじゃ。ヘンリーもいい奴だし、こいつもきっといい奴じゃて」 龍の肩をポンと叩き、何度か頷くと祖父は去っていった。「ふむ、実に聡い方だ」 アルバートが感心したように頷いている。 龍は納得いかない様子で、しかめっ面をアルバートに向け睨んだ。 私は大きなため息をついてから、ヘンリーとアルバートを交互に見つめる。「もうこうなったらおじいちゃんの言う通り、一人も二人も同じよ。 いいわ、ヘンリーとアルバート、二人とも元の世界に帰れるまで面倒みてあげるわよ」 こうなったらとことん付き合ってやろう
風呂場から救出されたアルバートは、適当な浴衣を着せられ、空いている部屋へと運ばれていった。 龍が用意した布団に転がり、幸せそうな顔をして眠っている。 私とヘンリーと龍の三人は、布団ですやすやと寝むるアルバートを取り囲み見下ろした。「ヘンリー、説明してもらおうか?」 私がヘンリーを睨む。 ヘンリーは私の視線など気にも留めず、可愛くニコッと微笑むと語り出す。「アルバートはね、僕の執事なんだ」 「執事? はぁ、まあヘンリーは王子だもんねって、なんで執事までこっちの世界にやって来てるの?」 「さあ、なんでだろ?」 ヘンリーは不思議そうに、眠っているアルバートの顔をじっと見つめる。 そのとき、アルバートの瞳がカっと大きく開いたかと思うと、すぐにガバッと起き上がり、ヘンリーを見て叫んだ。「ヘンリー様! よかった、ご無事で!」 アルバートがヘンリーを抱きしめる。 ヘンリーは小さい子をあやすかの様に、アルバートの背中をさすっている。「アルバート、心配かけてすまなかった。僕はこの通り、元気でやっているよ」 「王子がいなくなってからというもの、生きている心地がしませんでした。 皆心配しております。早く帰りましょう」 アルバートは懇願するような瞳をヘンリーに向けすがりついてくる。 そんなアルバートを見つめながら、ヘンリーは気まずそうに頭を掻いた。「それが……戻り方がわからないんだ」 「……なんですってーーー!!」 アルバートはショックで固まってしまう。 それはそうだろう。 わけもわからず知らない場所へやってきて、帰り方がわからないなんて、絶望的だ。 それを楽観的に楽しんでいるヘンリーがどうかしているのだ。 私はアルバートに同情の眼差しを向けた。「でも、大丈夫。この流華が、とっても親切に僕のお世話してくれるから」 ヘンリーが懲りもせず、私に抱きついてくる。『あーーー!!』